あなたは自分が見たものになる

古代のリシが残したヴェーダの中にこのような言葉があります。

『 あなたは自分が見たものになる 』


あなたが

この世界をどう知覚するかという経験が

あなたという

人間を作っている。


ヨガスタジオに何人もの人が集まって、同じレッスンを受けていても

どう知覚するかによって体験している世界は全く違う。


私がとても大切だと感じることは


その違いこそが

『 完璧 』


だということです。



まわりの人たちに自分という存在を『認めて』もらいたい

人と違うこと、私だけが違うことが『恥ずかしい』


といった


自分の力を外に託して他人軸で生きるという概念。


をもう外して


わたしがこの世界をどう見ているか。

そこにエネルギーを注いでいくと

他人軸から

わたし軸に戻ってきます。


他人軸に生きることに慣れすぎて

麻痺した

わたしを回復する最重要な要因、

わたしが生きるか死ぬかを決める要因とは



食生活でも

運動でも

禁煙でもく


わたしを生きるという意思である。

この意思があるかないか。

この意思の熱を残せるか、忘れるか。



生きるために必要な肉体の成長や免疫は生まれつき遺伝子に組み込まれたものです。

ですが、


医師が成長ホルモンの注射を打ったところで

パワースポットを訪れたところで

瞑想をしたところで

わたしを生きる意思がなければ、

わたしは崩れ落ちます。

分離したエゴによる私がまた戻ってきます。




他人軸とわたし軸の境界線に意識を向けて

いま自分がどこにいるのか。

その境界線を私の方にほんの少しだけ開くことができるようになってくると



色はより明るく

音はより心地よく

見慣れた景色に鮮度があふれて

まわりの人がより愛おしく

ごはんがおいしく

なってしまうのですね。

わたしの方にほんの少し意識を開いただけで、

現実が変化したわけです。




『 あなたは自分が見たものになる 』

あなたは何をどの位置で見ていますか。


ヨガのポーズも呼吸も瞑想もこの境界線を私の方に少しずつ運びます。

そしシャバアサナで一度肉体を離れて、

思考というシナリオ作りが大好きな

わたしから分離したエゴ

から離れて、

わたしの方にほんの少し意識を戻す。



私が見ているもの、聞いているもの、感じているもの

は敵じゃない。

ということを腹の底から体験すると


わたしと他人を隔てていたその境界線は消える。




わたしと自分が見ているものは同じだった



わたしはわたしが見ているものになった。





そうすると

ほっとします。




肉体年齢を重ねて、あなたが知ること、

それは

他の人が理解しなくても

あなたの人生は大丈夫だよ。

っていうこと。 FB/HEVENESS





最後までご覧いただいてありがとうごさいます。 久しぶり太陽を楽しみましょう。

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