拝読したアイアンガー氏による本の一節を紹介します。
「あまりにも多くの人の人々が、まるで宝くじでも買うように精神の向上に取り組もうとする。新しい本や方式、新たな洞察力や指導者が、自分を悟りへと導く宝くじになる事を望んでいるのだ。だが、ヨガはそれが間違いだと教えている。
悟りの為の知識と努力の源も全てあなたの内にある。それを知るのは、心、身体、呼吸を律することくらい単純で、かつ難しいことである。」
瞑想をするというと、
いいね。だって寝てるようなもんでしょ。羨ましいよ。そんな時間がとれて。
と言われたことがあります。
・・・あっ。ありがとうございます。。。笑 思わずこんな反応。
内側に浸透しいていく作業は身体の痛みや、思考や感情という無限に湧き出る現象とひたすら対峙すること。
途中で、誰かに共感を求め、共感され安心したり。
信頼できるひとに相談してそれが正しいか聞き、正しいと言われ安心することも。
甘いものを食べて外部的満足に安らぎを感じることもできない。
つまり何かに頼らずに、自分で徹底的に自分の中に体験が起こるのを経験していく作業です。
なぜ、瞑想しようと思考するのか。
それはその思考の背景のどこかに、痛みや苦しみももうこれ以上抱えていたくない。幸せを感じた瞬間に、この幸せを逃してしまうのではないのではないかという恐怖、幸せからくる苦しみのサイクルを繰り返したくない。という思いがあるからではないでしょうか。
その苦しみはどこからやってくるのでしょうか。誰が決めているのでしょうか。
すべて自分の頭の中です。感情です。
そして本当のあなたはだれなのでしょうか。
瞑想やヨガはそんな無知による苦しみからの自由の教えを残しています。
でも、それを実現させるのは、一人一人の精神的な成長を求める努力であり、練習であり、徹底的に、本気で自分と対峙し続ける信念だと思います。
マットの上だけ、本を読んだ瞬間だけ、気分が良い時だけ。精神的成長を願い、何かに頼る。その一時的なものは、思考が延々続く浮かんでは消える無常の性質によってすぐに流れて消えていきます。
つまり忘れるということです。
この人生をどう生きたいか。
瞑想やヨガの、必要最低限の自分が真実だと信じられるような知識を得たならあとはそれを信じて、日々の中で練習して、自分で体験していく。
とてもシンプルなことだと思っています。
自分の信念を信じること。
それを続けられる力を持ち、自分という普遍的な美しい存在を見つけ、愛することが生きる学びだと思っています。どんな時でも、エゴや身体にだけ栄養を与えずに、その内なる空間にも愛を与えられる。そこの広がりに気づいていられる。
それが自分の信念による努力の結果、瞑想の恩恵なのではないでしょうか。
最後はみんな同じところに行き着くと思っています。
みんな同じ、ただ本当に美しいんだろう、と思います。
あなたの幸せはいつもあなたの中に。誰かの中ではなくて。
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